ヨガコラム|本音のお話  | ヨガビジネス
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メレリエ スクール オブ ヨガ
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 令和:挑戦




現会員の皆様、また退会された方でもメレリエの歴史に名前を残したことには違いありません。本当にありがとうございます。至らないフロントで申し訳ありません。ついつい甘えてしまうフロントで皆様方にはメレリエルール的なものが自然にできています。(駄目だけど)恵まれた会員様達に感謝です。さて、平成が終わり令和です。メレリエはさらに技術を上げていく所存です。今後はアーサナの整合性に特化したクラスを創る(少々きついですがヨガの関節・筋肉の使い方を実践して頂く)他、「怪我をさせないのは当たり前」。効果に結果を最大限上乗せして行く勉強を積んできたものを実践致します。それらを一つ一つ積み重ねていき還元する事を約束します。本物志向のヨガで会員様達と向き合います。
 
さて、養成スクールとしてはメレリエ卒業生から日本屈指の港区広尾の名門デポルターレヨガ(本店西麻布)にまた5月より2人抜擢されました。誇らしい事です。何よりクオリティの向上にレベルを上げてきた一つの結果だと思います。それこそ、フィーはただでも良いくらい、そこで目の肥えた会員様達に揉まれることが学びです。そして愛される事。ただそれだけで、レベルは一段と上がるでしょう。要は知識・技術・コミュニケーション全ての能力と謙虚さ全てのバランスです。メレリエはインストラクター育成にもさらに磨きをかけて現在の全てのヨガのインストラクター達に影響するレベルの向上に邁進します。メレリエ会員様には温かく・厳しく見て頂きたいと思います。
 
とにかくレベルを上げていく挑戦は何をおいても結果に繫がります。こんなに楽しい事はありません。人生これ勉強。学習する面白さ。全ての世界に言える事ですよね。
 
 

平成31年5月1日

 高学歴の馬鹿

 
 
 
私は高学歴の人をリスペクトする傾向が有る。何故かと言うと難易度の高い学びを継続していた人だと認知する傾向が有るからだ。もちろんスポーツも同じで学生時代に継続してコーチや監督に注意を受け修正を学び続けた人も同様にリスペクトする。
しかし、実社会に出ると私の経験上勿体ない人がいるのが残念である。結論から言えば謙虚さがある人と無い人で全く印象が変わるのだ。もちろん多様な顔を持つのが人間なのだが、私の統計になりあてにはならないが、上手に人と合わせられる人で頭の低い人は頭が良く人間関係が豊かで、仕事ができる傾向が有る。きっと、その人達は意識をしている訳では無く人間形成の問題で、バランス感覚を持ち合わせている。これは、学術では無く、成り立ちかなと思うので、リスペクト出来る人の過去に好奇心が湧くのも当然かも知れない。
 
さて問題です。高学歴の馬鹿について書きます。全くこれに関しては生き方が下手糞で勘違い甚だしい奴。ある意味、これが燃えつき症候群なのかなと思わざるを得ない。自尊心が高く協調性は低く、周りに気を遣わせる人。空気感もへったくれもない人間。案外これが多い。何を学んだのかと思い大丈夫か?と聞きたくなる。これらは認知バイアスに陥っていると言わざるを得ず、ダニング・クルーガー効果(高い自意識の過剰で他人を過小評価してしまう。又はその逆で能力がないのに自分を過大評価する錯覚)でもあり他人を過小評価する傾向がある人に当てはまる。自己認識をして改革と言うか改心しなければ、結局何のために頑張ったの?と言う話になり、生きて行くこと自体の障害や難易度が高くなってしまい、精神的にも病んでしまう可能性もある。何一つ良い事が無い。まあ一人でする仕事なら問題は無いかも知れないが、自己愛と言うモノにくるまっているだけで、それは悪い意味で壁になり、鋭利な刃物にもなる。
だから厳しさと直面し向き合う必要があると言える。でも心が潰れちゃったら本末転倒だから難しいのだけれど。
 
至ってそういう人は周りのモチベーションを下げる人になるから付き合わないに越したことはない。または気にせずスルーするか、対応はいろいろあるが実はその【人が離れていく】という事態がその人達に対しては注意喚起(気づく気づかないはある)になるのではと思う。結局のところ社会に入っていく事に学歴は有利に働く(理系の専門職は延長が多い)のは確かだけど、社会に入ったら同じ土俵。人間形成に意識を向けられない人間は自分の知らないところで損を重ね、気づかずに行き止まりと言う事になる。
 
【優越の錯覚】自分が陥っていないか、周りを見渡して振り回していないか、意識して思い当たる点があればその人は改善に努めましょう。せっかく頑張った勉強も何の意味も無いモノに成り下がるから。本当に勿体ない。過去が恥ずかしいのは成長の証。ツケを溜めないうちに意識するところから始めないと駄目。高学歴だから成功する確証等は無い。高学歴で無い人達も平等に頑張れるのが社会だから。学生は勉強が本分。社会人は仕事が本分。本分は本分で同じです。学歴の獲得で終わってはいけない。大事なのは現実の受容です。
 
妬んでもしょうがないから私がもし生まれ変われたら?としたら馬鹿はそのままにして高学歴だけ付け加えれるよう頑張ろう。
勘違いなく…ウサギと亀のお話になっちゃうからね。
 

平成31年4月8日

 

 窮地の時こそ笑え

 
 
今まで悪魔と戦かっているような修羅場を数えきれないぐらい経験してきた。
だから、いつの間にかどんな状況でも笑えるようになった。
気が着けばヨガビジネスの平穏な毎日が続く今の場所が本当に私のいる場所なのかと言う疑問さえ感じる。平穏が目標とか思っていた筈なのに、平穏の中では上手く泳げない。生きる事は戦うことだと長い経営人生の中で自分に刷り込まれてしまったのだろう。
ただ、平穏と言っても何事も起こらない訳はない。小さな問題はいつだって起こる。このヨガビジネスの仕事は人間関係で成立している。だから相手の事情や状況により局面は変わり、マネージメントの戦略を大きく動かさなければならない時がある。でも、何故だろうピンチの時には不敵にも笑ってしまう。ピンチに対してどこかで挑戦できる自分に何かを期待しているのかも知れない。不思議なもので私もビジネスパーソンだと感じる瞬間である。
前にも述べたが仕事以外では無知の結晶のようなバランスの悪い生き方しか出来なかったから仕方がないが、前に壁ができると試行錯誤する事を楽しんでしまう。
昔若い時みたいにコケながら走り続けるような事はもう無いのが少し寂しいが、今はもうコケない。だって走ってないから転びようがない。だから確実に頭の回転が鈍くなっているのを自覚している。会話でも的を外すことが多くなった気がする。おじいちゃん!
でも、私にはそれだけの経験と言うデータがあるから鼻が利く。
まあ、今は「地に足をつけてじっくり攻める」に徹しているので、若く現役で戦っている優秀な人を見るとリスペクトするようになった。だから、応援したくなる。
先日スタジオ経営している後輩から、電話があった。口コミで悪口を投稿されたと言うものだった。その口コミの内容を見る限り自己本位の嫌がらせでしかないのだが、何を求めて投稿するのだろうと考えた。弁護士を通じて開示要求し、本人を特定しそれによって損ねた利益と信用の賠償請求も出来るが、そこまでは、しないであろうと考えているのか。しかし、もしその投稿によって退会者が大勢出たとき、何もしなければ、そういう当たり屋もどきが増えるだろう。だから口コミを書くなら本名で書きなさいと言いたい。そういう情報時代だから投稿してあえて戦う正義があると感じた人間なら本名を出せるはず。出さないのは卑怯である。投稿した人間は相手を知っている。でも投稿された側は相手が解らない。これが、矛盾で、妬みや嫉妬・腹いせ等が許されると言うのがコンプライアンスに反しないのか不思議でしょうがない。情報のガバナンスを強化すべきである。ただ、たいした事ではない。名前が挙がってくると自然にアンチも増える。発言に信憑性が無いのはその匿名たる無責任を見れば解るし、案外匿名と言うものは皆信用してないよ。と言っておいた。メレリエもされた事あるけどアンチが増えたのは知名度が上がったからだと言ってみんなで笑ったことがある。
それより必死で頑張る事のみ。そうしていれば結果がすべてを覆してくれる。もっと苦しく捌け口の無い修羅場は必ずやってくる。その時に備えるのが先。
 
私の悪運の強さは「座右の銘」が【九死に一生】と言う事からも周知の事実だが、もし若い人に一言と言われれば、勢いは大事コケる事、敗ける事を怖がらないで。窮地に立ったら微笑め、悪魔より先に笑え。そうすれば冷静に状況をより把握できる。そして、然るべき自分自身が成長するプロセスになる。要は積み重ねなのです。案外人生コメディだ。
アッ、来月のスケジュールどうしよう。窮地の時こそ笑えだ。
 
 

平成31年3月4日

世界の隅から考える

プライベートのつぶやきの世界の隅から考えるというのは何なのか。
前置きとして言えば私の意見や戯言等は第三者に与える影響等何もないと言う事。あくまで自分自身の中で逡巡している事を文字にしているだけと言う事である。
 
それでは、本文に入る事にする。
これを読んでいる人は世界地図を見た事があるだろう。本来地球は丸い形をしているので、平面にすると歪みが出て面積に相違が出て来るのは当然。そして私達が見る地図は日本が中心にあって大陸に囲まれている。しかし、ヨーロッパで見る世界地図はヨーロッパが中心で左側にアメリカ大陸がある。日本を探して見れば右端の上の方にチョビット発見できる程度。ここから極東の島国と言われているのだ。様々な視点で見れば図法は割愛するとしても平面で表現するなら国々によって自国の面積は異なる。これが大きな価値観の違いやナショナリズムを含む視点の違いの一つの象徴だと思う。(まあ、地球儀をみれば良いだけの話ではあるのだが)
 
つまり私が言いたい事は「自分自身の思考はどうして作られてきたのか」と言う事を掘り下げて鑑みる事。情報や教育自体も世界に照らし合わせて再考する事によってよりゼロの位置にやっと近づける程度だろう。だから全ての情報を逆説的に考える事によって成立する事も有ると言う事である。
例えば密教で言うマントラ(真言)を取り上げれば、大昔は呪文・祈祷であり雨が降らなかったら、唱えて雨を降らせたり、人を呪い殺す事も出来る超越性を持っていたらしいが、現在ではマインドフルネスの集中法として正規に生きている。この変化が進化であり文化の交流であり知性だと考えられる。ヨガ学派は音声により精神を統一する修行法として存在するものでスピリチュアルとは異なると私は考えるが、その目的(悟りとか解脱とか)によっては宗教なので信者になるか、信者にならないか、全く別で集中法として割り切るかが選択肢になるが、それも客観的にグローバルな視点で判断をしなければならない。
 
つまり世界中の国々どこでも言える事だが必ずしも情報は正確ではなく主観が必ず文章には含まれていると言う事。それによって生まれる感情や思考は偏る可能性がある事を踏まえて常に疑問と戦う必要性を持つ事である。
 
しかし、このコラムも一個人の考え方であって世界地図の右上の隅っこの、またその中の小さな場所から発信しているただの主観的情報と捉えて疑問を持って読んで頂ければ嬉しい限りである。
 

平成31年2月13日

 ストレスに備えて
~反芻思考の遮断~ 

心が弱ったとき、あなたはどうしますか?
 
旅行をしたり、音楽を聴いたりなど、ちょっとした気分転換をして悩みごとからインターバルをとることで冷静になれるなら「現実逃避」は決して悪いことではありません。すこし時間をおいてから自己を見つめ直して再起する、もしくは根本原因と離別するのはありだと思います。
 
そしてもうひとつ、「現実と対峙する」という方法もありますね。
現実と対峙する、つまり問題の根本と向き合って対処するのですから、「ああしたらいいか、こうすべきか」と思考は堂々巡り。冷静な判断力や決断力が必要だとわかっていても、その悩みが大切なことであればあるほど、「思考の反芻」から逃れられないものです。
 
そんなとき、思考を遮断して冷静さを取り戻すのに有効なのが運動です。どんな運動でもいいのです。体を動かすことで考える余裕をなくしてしまう。単純なことです。
例えば、ジョギングでもいいですね。それも「辛いから、今日はここまで」と止めてしまっては意味を成しません。痛みがない限りは限界目指して走り続けることです。走っている間は根本原因から一時的に解放され、走り終わったときには冷静さが少しでも戻っているのではないでしょうか。また、走ることをくり返すうちに、徐々に健全性を戻ってくる。自分の思考のうちに引きこもりがちな状態から、あえて別のことに挑戦し、継続することで一つ強くなるのです。
 
ただ、ここで一つ勘違いされたら困るので言っておきます。もし、悩みのせいで心が弱るのを通り越して病気かなと思ったら、医療の世界にお世話になるのが確実です。それだけは申し上げておきます。
 
さて、「メレリエ」ではヨガ・ピラティスに加えてサービスでキックボクシングのクラスを受講できます。
意外かもしれませんが、キックボクシングのクラスは産後まもないママたちにも人気です。トレーナーが限界をどんどん越えさせるので、会員の方たちはストレスの原因すら忘れて(と言うか考えている余裕などなくなるのです)、ひたすらトレーナーのミットに打ち込むことに没頭します。そのおかげか、「キックボクシング、やめられない!」という言葉までいただきます。これも一種のマインドフルネスでしょうか。
 
肉体を使って健全な精神状態を創る。
これは、現代社会における「ライフワーク」のひとつかもしれません。日本人の運動量が少ないこと、そこからくる精神衛生は国際的にも問題視されていて、国も対策に力を入れているようです。
 
誰にでも心が弱くなるときはあります。「弱くならない」ためにがんばるよりも、「弱ったときにどうすればいいか」というプランを作っておく方が現実的ではないでしょうか? ストレスから逃げ切ることは、誰にもできないのですから。

 
 
 

窮地の時こそ笑え

 
 
 
 

 世界の隅から考える

プライベートのつぶやきの世界の隅から考えるというのは何なのか。
前置きとして言えば私の意見や戯言等は第三者に与える影響等何もないと言う事。あくまで自分自身の中で逡巡している事を文字にしているだけと言う事である。
 
それでは、本文に入る事にする。
これを読んでいる人は世界地図を見た事があるだろう。本来地球は丸い形をしているので、平面にすると歪みが出て面積に相違が出て来るのは当然。そして私達が見る地図は日本が中心にあって大陸に囲まれている。しかし、ヨーロッパで見る世界地図はヨーロッパが中心で左側にアメリカ大陸がある。日本を探して見れば右端の上の方にチョビット発見できる程度。ここから極東の島国と言われているのだ。様々な視点で見れば図法は割愛するとしても平面で表現するなら国々によって自国の面積は異なる。これが大きな価値観の違いやナショナリズムを含む視点の違いの一つの象徴だと思う。(まあ、地球儀をみれば良いだけの話ではあるのだが)
 
つまり私が言いたい事は「自分自身の思考はどうして作られてきたのか」と言う事を掘り下げて鑑みる事。情報や教育自体も世界に照らし合わせて再考する事によってよりゼロの位置にやっと近づける程度だろう。だから全ての情報を逆説的に考える事によって成立する事も有ると言う事である。
例えば密教で言うマントラ(真言)を取り上げれば、大昔は呪文・祈祷であり雨が降らなかったら、唱えて雨を降らせたり、人を呪い殺す事も出来る超越性を持っていたらしいが、現在ではマインドフルネスの集中法として正規に生きている。この変化が進化であり文化の交流であり知性だと考えられる。ヨガ学派は音声により精神を統一する修行法として存在するものでスピリチュアルとは異なると私は考えるが、その目的(悟りとか解脱とか)によっては宗教なので信者になるか、信者にならないか、全く別で集中法として割り切るかが選択肢になるが、それも客観的にグローバルな視点で判断をしなければならない。
 
つまり世界中の国々どこでも言える事だが必ずしも情報は正確ではなく主観が必ず文章には含まれていると言う事。それによって生まれる感情や思考は偏る可能性がある事を踏まえて常に疑問と戦う必要性を持つ事である。
 
しかし、このコラムも一個人の考え方であって世界地図の右上の隅っこの、またその中の小さな場所から発信しているただの主観的情報と捉えて疑問を持って読んで頂ければ嬉しい限りである。
 

平成31年2月13日

 
姪の結婚式

姪の結婚式。テレビドラマでしか見た事の無いチャペルでの挙式。もともと親類縁者に関わる事自体あまりしない不届き者の私である。常識に欠ける人間であり、ただでさえシキタリニに弱い。が、無難にクリアできた。
 
また、姪の挙式は特別な思いが沢山あった。それ自体には触れはしないが、新郎の方が楽しく文武両道の人で安心した。(早く私とどちらが面白いかセンスの雌雄を決したいと思うところである。早く東京に来るのだ)
そして姪も根性があり、楽しい性格だからきっと幸せになる。
 
私は何もしてやってはいないので、これから混ざろうかと思っている。
 
幸せの結果はまだまだずっと先にある。順風満帆の人生等期待してはいけない。風が前から吹き荒れてもいかに楽しく乗り越えるか、そして振り返った時「楽しかったな」と言えれば
それが幸せである。
 
…と言う事を伝えたかったがあの二人なら大丈夫。
むしろ私の方が教わる事が多いかもと思った。
 

2019年1月5日
 

 感謝 平成30年

メレリエも気がつけばもう10年目に入るのだ~と言う感じですが、節目として総括します。
 
思い起こせば様々なインストラクターと出会って来ました。今は良いインストラクター達に恵まれメレリエは本当に平和な毎日。
もちろん過去には契約や常識を守れずメレリエの会員様と情報交換を平気でする人も、少なからず居ました。しかしそういった経験が今生きている事にまず感謝いたします。
またインストラクターの育成に力を入れ当時では数校しかなかった全米ヨガアライアンスの正式認定校になり、これからのインストラクターを育てると言う重責を担い試行錯誤して参りました。出会いと言うものは人の人生も左右します。外国の先生・人気の先生や講師歴の長い人とも出会いましたが、そこで気づかされたのは、インストラクターを育成するのは別物と言う事。教育したエビデンスを生徒のノートに解りやすく残せる講義力が必要で有る事をItsuki講師と言う人物から教えられました。それが今日迄のメレリエの会員様への繊細なインストラクションや養成講座の教育方針を高めた「信念」になっているのです。そのItsuki講師は現在某高級会員制のパーソナルジムでアスリートや芸能人・会社役員相手に辣腕を振るっておられます。そして今もメレリエ代表の野口ともいい友人で、そのジムからのインストラクターの要請を頂く事もあります。感謝。
そして、それらを受け継ぎ進化を遂げてきた講師達とそれらに関わった人・医療従事者・トレーナーにも感謝。
 
 
その裏方で意見や情報を精査しながらテキストの上書きやカリキュラム管理を統一するノウハウの構築に全力で向き合いレベルを高め続けてきた司令塔の野口にも労いの思いでいっぱいです。広いスタジオを持ちながらも徹底した少人数制を敷き長期講座だけではなく短期講座の先駆けとなった我校も少人数制ながらに今では200名を超える生徒を輩出して参りました。未だ課題は山積ですが、東京のヨガインストラクター養成講座の中では常時ホームページの上位にランク付けされる等、平成30年は結果を残せた一つの節目になりました。
 
しかし、何より一番大切なのは品性の良い会員様に恵まれ続けた事に他有りません。
ある時はフレキシブルに、ある時はご意見番、そしてインストラクターを信頼して頂ける。それがインストラクターの育つ環境をも創って頂いていると言う処にも繋がっているからです。つまり、全ての会員様(在籍・退会問わず)のお力添えが無かったら成立していなかったでしょう。
 
全ての会員様に心から感謝の礼を尽くすと共に、それぞれの目的に対して全力で取り組む事で応えたいと思います。平成がこの春終わりを告げます。これから何が待ち受けているのか想像もつきませんが、メレリエが皆様のお役に立てる様に寄り添って歩んでいきたいと思います。信念を大切にしながら…。
 

2018年12月31日

 
生まれて初めて1人の年末年始 

 
年末から年明けまで何もやることが無い!今年はツレがいないので、本当の1人。まさかと思うが自分の人生の中で初めて1人で送る正月ではないか!「初体験だ」と実感する。
 
でもこうして1人を楽しむのも悪くない。買い物につきあわされることも無く、慌ただしさも全くない。怒られる事も無い。本当はこっちの方が「休み」って感じでいいのではとまで思ってしまう。まぁツレは母親の介護をしながらメレリエと田舎を行ったり来たりしている訳で、年末年始等感じられないかなと思うと申し訳ない気もするが・・・家族と迎える新年なのだからツレなら楽しく過ごすことだろう。ただ大晦日の夜【笑ってはいけない】を1人で見て笑っている自分を想像するとちょっと怖い…。アッ大事な大きなイベントがある。五日に姪っ子の結婚式だ。日帰りだけどめでたい事だ。でもこの話は結婚式が終わってからにします。 ハンカチだけは忘れないで行こう。
 
 
 
そんな訳で今は加湿器の蒸気に視線を漂わせながらこの文章を書いているのだけど、至福の時間を感じている。とにかく風邪とか病気にならない様に気をつけよう。せっかくの空っぽの時間が台無しになる。
 
初めて1人で迎える年末年始、のんびり味わおう・・・。

2018年12月30日

 生まれて初めて1人の年末年始 

姪の結婚式。テレビドラマでしか見た事の無いチャペルでの挙式。もともと親類縁者に関わる事自体あまりしない不届き者の私である。常識に欠ける人間であり、ただでさえシキタリニに弱い。が、無難にクリアできた。
 
また、姪の挙式は特別な思いが沢山あった。それ自体には触れはしないが、新郎の方が楽しく文武両道の人で安心した。(早く私とどちらが面白いかセンスの雌雄を決したいと思うところである。早く東京に来るのだ)
そして姪も根性があり、楽しい性格だからきっと幸せになる。
 
私は何もしてやってはいないので、これから混ざろうかと思っている。
 
幸せの結果はまだまだずっと先にある。順風満帆の人生等期待してはいけない。風が前から吹き荒れてもいかに楽しく乗り越えるか、そして振り返った時「楽しかったな」と言えれば
それが幸せである。
 
…と言う事を伝えたかったがあの二人なら大丈夫。
むしろ私の方が教わる事が多いかもと思った。
 

2019年1月5日
 

 
文章を書くマインドフルネス
~内容は反省文 

 これは軽率にこらむを書きはじめた反省文と捉えてもらってもいい。
 
コラムを書きだしてからまさか自分がこんなに文章を書くのが下手くそだとは思いもしなかった。書いても書いても見る度におかしなところが出現しそれを直す。そしたらまたおかしなところが出てきてそれを直す。結果原形を留めない事態に…と言うお話から…。
 
よくよく考えて問題を精査して観た。
 
原因は私の脳ミソにあるのではと検証開始。
 
まず、傾向として私のコラムは根本的に長くなればなるほど本編のテーマとはかけ離れた所に流れ着いてしまっている。最初に何をテーマとして書こうとしていたのか忘れるぐらい。つまり思い浮かんだフレーズをツラツラとただ書いているに過ぎないのだ。文章と言うよりもメモだ。もちろん思考は巡らせている錯覚に陥っている。当然テーマに近づかなければと小手先で胡麻化そうとするのだけど、瞬く間に地図の無い旅は水の無い砂漠に放り込まれる結果になる。テーマどころのレベルの話ではなく文字の配列がそこにあるだけ。原稿を書く基本意識が薄弱で軽すぎた。
その時、ふと笈田ヨシ先生の顔が浮かんだ。現在パリに住んでおられる笈田ヨシ先生が来日された時に、うな丼が食べたいと言われたので一緒にお食事を二人でさせて頂いた事が二度ほどある。その時の笈田先生から頂いた言葉を思い出した。笈田先生は故三島由紀夫先生から文学座初期時代に演劇を学ばれた1人だ。その笈田ヨシ先生に対して三島由紀夫先生が「僕は原稿用紙一日二枚しか書かない」と仰られたそうです。それに対して笈田ヨシ先生は「私は二枚も書けません」と返答されたと言うお話を聞かせて頂いた。四百字詰めの原稿用紙だから一日800文字と言う事になる。だから重い原稿用紙が出来る。教訓になった。
 

2018年12月30日

思えば遡る事25年位前に私は小説に挑んだ事もあった。いい作品なら世に出ている筈なので大したモノでは無かったのだが、読んで貰って評価の対象外にならなかっただけましであった。ましてやその当時は仕事で裁判関連の準備書面を数多く作ってきた経緯もあるので、むしろ筆力には自信があった。ただ、今と違うのは筆力と言うよりも集中力だった気がする。
他の事に気を取られながら書く文にはなにも宿らない。
 
冷静に考えを巡らせてみる。私には30年という経営歴がある。これは私の年齢から観れば誇れる数字だと思っている。今もなお24時間ビジネスのプロセスを考え行動しているし、自分で言うのも何だが、そんなに悪い経営者ではない。確かに野心めいた物はいつしか消えてしまっていたが、頭は使っているつもりだ。
そうした消去法で考えて見るとマサカと思い当たる事がある。実に下らない問題で、もう20年近く自分で文章を創ると言う作業をしていない事だ。プロットのいる文章は要点と流れだけ指示して社員に任せていたし、メレリエが誕生してここ10年に限っては手紙すら書いていない。メールのやり取りでさえも面倒に感じ必要なこと以外は電話の方が手っ取り早いと思っている。日記を書く習慣もない。答えは簡単だった。
 
間違いなくナマケ者がなると言うナマケ病だと判明した。
 
準備が出来る力はすでに失われていた。だから行き当たりばったりの文章になるし、それならいくらでも書ける。まさに迂闊だった。平和ボケ。そしてそれに気づかない位に感性が錆びついていた。悔しいと感じた。
 
ただここで自分と向き合える年始の休暇が目の前に有る。これは幸運としか言いようの無いリカバリーのチャンス。時間はたっぷりとある。リニューアルにはおあつらえ向きだ。
 
とにかく文章だけに集中しよう。雑踏も無い時間の中でゆっくりと書くと言う事に専念しよう。とにかく、短い文章から脳のシナプスをリハビリするのだ。少しずつゆっくり、ゆっくり。何を焦っていたんだろう。まず難しいテクニックは使わなくてもいい。ただ自分を内観し集中力を結集すればゾーンに入る。
 
 
書き終えた後時計を見たら12時間が過ぎていた。時間の感覚が麻痺し書き綴ること以外は無心だった。この原稿に丸1日かかった事になる。
笈田ヨシ先生の言葉を思い出した。
 
この原稿の内容は失敗に対しての反省文のようなものでしかないが、私としては画期的自己発見である。
 
文章を書くと言う事は自分とそのテーマに集中しなければならない。そして自分でもう一度挑戦しようと言うキッカケを作って頂いたライターの先生には頭が上がらない。そして明確でハッキリとしたご意見が無ければ自分の退化に気づく事さえできなかったと思う。
文章を書くと言う事は時間さえ超越する程の内観である。瞑想と同様の効果があるかも知れない。なぜなら今頭の中は疲れてはいるが集中力を感じながらクールダウンするなかで鮮明な感覚を感じている。
これもまたマインドフルネスだと思う。
 
文章のクオリティはまだまだ上げられる。誰でも読みやすく興味を引き出す文章に少しずつ。挑戦していくと決めた。そうすれば自分自身も新たに成長できる。
 
皆さんもほんの文章でも書くことをお薦めする。

2018年12月29日 

 太陽礼拝108回のリスク

 
年末が押し迫り、仕事納めに新年の準備など忙しくされている方も多いと思います。なかには、年末恒例のヨガイベントに参加される方もいるかもしれません。
 
今回は、そんなイベントのひとつ「太陽礼拝108回」についてお話しします。
 
「太陽礼拝108回」という企画は、ヨガスクールがあまり多くない2011年に私たちがスクールの会員さまに楽しんでもらおうと企画としたものでした(他スクールでも108回でないにしろ、類似したイベントを開催していました)。
 
しかし今では、「太陽礼拝108回」を開催していたことを大いに反省しております。
現在でも問い合わせがあるほどの人気イベントですので心苦しくはありますが、メレリエでは2年前(2016年末)から、開催を取りやめています。
なぜ開催しないのか? それは、このイベントを開催するにあたっては参加者の皆さまがご自身のアライメントを知っていること、筋力、体力が充分であることが絶対条件だからです。
 
正しい太陽礼拝を行うのは熟練者でも難しいものです。そのためレッスンでは、インストラクターが1人1人の筋肉や体力などを見て指導しています。
しかもそれを108回も続けるのは並大抵のことではありません。とくに一般の方は「せっかくの年末、ヨガ納めだから」と張り切って、身体が注意信号を出したとしても続けてしまいがち。そうなると筋繊維や関節を傷める原因にもなります。血圧が高い人などには健康上のリスクもあります。
楽しいのはよいのですが、遊びでは済まされないこともあるのです。
 
優秀なインストラクターが複数で見守り、参加者の状態を見極め、指導する。場合によっては止めさせるという体制ならよいかもしれませんが、参加者のみなさまの気持ちを汲むと、インストラクターもなかなか適切な指導をしづらいでしょう。
 
そういった理由でメレリエでは「太陽礼拝108回」を取りやめました。
 
寒い季節で、筋肉や関節が硬くなっていることもよくあります。年末にヨガをされるみなさまはどうか、お身体に十分注意してください。そして、ヨガイベントを行うインストラクターのみなさんは、生徒さんが新年を清々しく迎えられるよう、心身の状態にいつも以上に配慮してくださるようお願いします。
 

2018年12月15日
.

 

As for the modern people,
please takes care
of a logic and evidence
 
 
ベルギーに在住する、論理派
uri INSTURCTOR
今は情報の時代 
どこにいたって学べるよ!
  
MODAN VISION