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メレリエ スクール オブ ヨガ
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姪の結婚式

 
 
 

姪の結婚式。テレビドラマでしか見た事の無いチャペルでの挙式。もともと親類縁者に関わる事自体あまりしない不届き者の私である。常識に欠ける人間であり、ただでさえシキタリニに弱い。が、無難にクリアできた。
 
また、姪の挙式は特別な思いが沢山あった。それ自体には触れはしないが、新郎の方が楽しく文武両道の人で安心した。(早く私とどちらが面白いかセンスの雌雄を決したいと思うところである。早く東京に来るのだ)
そして姪も根性があり、楽しい性格だからきっと幸せになる。
 
私は何もしてやってはいないので、これから混ざろうかと思っている。
 
幸せの結果はまだまだずっと先にある。順風満帆の人生等期待してはいけない。風が前から吹き荒れてもいかに楽しく乗り越えるか、そして振り返った時「楽しかったな」と言えれば
それが幸せである。
 
…と言う事を伝えたかったがあの二人なら大丈夫。
むしろ私の方が教わる事が多いかもと思った。

2019年1月5日

 

 
生まれて初めて1人の年末年始

 
 

 
年末から年明けまで何もやることが無い!今年はツレがいないので、本当の1人。まさかと思うが自分の人生の中で初めて1人で送る正月ではないか!「初体験だ」と実感する。
 
でもこうして1人を楽しむのも悪くない。買い物につきあわされることも無く、慌ただしさも全くない。怒られる事も無い。本当はこっちの方が「休み」って感じでいいのではとまで思ってしまう。まぁツレは母親の介護をしながらメレリエと田舎を行ったり来たりしている訳で、年末年始等感じられないかなと思うと申し訳ない気もするが・・・家族と迎える新年なのだからツレなら楽しく過ごすことだろう。ただ大晦日の夜【笑ってはいけない】を1人で見て笑っている自分を想像するとちょっと怖い…。アッ大事な大きなイベントがある。五日に姪っ子の結婚式だ。日帰りだけどめでたい事だ。でもこの話は結婚式が終わってからにします。 ハンカチだけは忘れないで行こう。
 
 
 
そんな訳で今は加湿器の蒸気に視線を漂わせながらこの文章を書いているのだけど、至福の時間を感じている。とにかく風邪とか病気にならない様に気をつけよう。せっかくの空っぽの時間が台無しになる。
 
初めて1人で迎える年末年始、のんびり味わおう・・・。

2018年12月30日

 

 
文章を書くマインドフルネス

~内容は反省文

 
 

 これは軽率にこらむを書きはじめた反省文と捉えてもらってもいい。
 
コラムを書きだしてからまさか自分がこんなに文章を書くのが下手くそだとは思いもしなかった。書いても書いても見る度におかしなところが出現しそれを直す。そしたらまたおかしなところが出てきてそれを直す。結果原形を留めない事態に…と言うお話から…。
 
よくよく考えて問題を精査して観た。
 
原因は私の脳ミソにあるのではと検証開始。
 
まず、傾向として私のコラムは根本的に長くなればなるほど本編のテーマとはかけ離れた所に流れ着いてしまっている。最初に何をテーマとして書こうとしていたのか忘れるぐらい。つまり思い浮かんだフレーズをツラツラとただ書いているに過ぎないのだ。文章と言うよりもメモだ。もちろん思考は巡らせている錯覚に陥っている。当然テーマに近づかなければと小手先で胡麻化そうとするのだけど、瞬く間に地図の無い旅は水の無い砂漠に放り込まれる結果になる。テーマどころのレベルの話ではなく文字の配列がそこにあるだけ。原稿を書く基本意識が薄弱で軽すぎた。
その時、ふと笈田ヨシ先生の顔が浮かんだ。現在パリに住んでおられる笈田ヨシ先生が来日された時に、うな丼が食べたいと言われたので一緒にお食事を二人でさせて頂いた事が二度ほどある。その時の笈田先生から頂いた言葉を思い出した。笈田先生は故三島由紀夫先生から文学座初期時代に演劇を学ばれた1人だ。その笈田ヨシ先生に対して三島由紀夫先生が「僕は原稿用紙一日二枚しか書かない」と仰られたそうです。それに対して笈田ヨシ先生は「私は二枚も書けません」と返答されたと言うお話を聞かせて頂いた。四百字詰めの原稿用紙だから一日800文字と言う事になる。だから重い原稿用紙が出来る。教訓になった。
 

2018年12月30日

思えば遡る事25年位前に私は小説に挑んだ事もあった。いい作品なら世に出ている筈なので大したモノでは無かったのだが、読んで貰って評価の対象外にならなかっただけましであった。ましてやその当時は仕事で裁判関連の準備書面を数多く作ってきた経緯もあるので、むしろ筆力には自信があった。ただ、今と違うのは筆力と言うよりも集中力だった気がする。
他の事に気を取られながら書く文にはなにも宿らない。
 
冷静に考えを巡らせてみる。私には30年という経営歴がある。これは私の年齢から観れば誇れる数字だと思っている。今もなお24時間ビジネスのプロセスを考え行動しているし、自分で言うのも何だが、そんなに悪い経営者ではない。確かに野心めいた物はいつしか消えてしまっていたが、頭は使っているつもりだ。
そうした消去法で考えて見るとマサカと思い当たる事がある。実に下らない問題で、もう20年近く自分で文章を創ると言う作業をしていない事だ。プロットのいる文章は要点と流れだけ指示して社員に任せていたし、メレリエが誕生してここ10年に限っては手紙すら書いていない。メールのやり取りでさえも面倒に感じ必要なこと以外は電話の方が手っ取り早いと思っている。日記を書く習慣もない。答えは簡単だった。
 
間違いなくナマケ者がなると言うナマケ病だと判明した。
 
準備が出来る力はすでに失われていた。だから行き当たりばったりの文章になるし、それならいくらでも書ける。まさに迂闊だった。平和ボケ。そしてそれに気づかない位に感性が錆びついていた。悔しいと感じた。
 
ただここで自分と向き合える年始の休暇が目の前に有る。これは幸運としか言いようの無いリカバリーのチャンス。時間はたっぷりとある。リニューアルにはおあつらえ向きだ。
 
とにかく文章だけに集中しよう。雑踏も無い時間の中でゆっくりと書くと言う事に専念しよう。とにかく、短い文章から脳のシナプスをリハビリするのだ。少しずつゆっくり、ゆっくり。何を焦っていたんだろう。まず難しいテクニックは使わなくてもいい。ただ自分を内観し集中力を結集すればゾーンに入る。
 
 
書き終えた後時計を見たら12時間が過ぎていた。時間の感覚が麻痺し書き綴ること以外は無心だった。この原稿に丸1日かかった事になる。
笈田ヨシ先生の言葉を思い出した。
 
この原稿の内容は失敗に対しての反省文のようなものでしかないが、私としては画期的自己発見である。
 
文章を書くと言う事は自分とそのテーマに集中しなければならない。そして自分でもう一度挑戦しようと言うキッカケを作って頂いたライターの先生には頭が上がらない。そして明確でハッキリとしたご意見が無ければ自分の退化に気づく事さえできなかったと思う。
文章を書くと言う事は時間さえ超越する程の内観である。瞑想と同様の効果があるかも知れない。なぜなら今頭の中は疲れてはいるが集中力を感じながらクールダウンするなかで鮮明な感覚を感じている。
これもまたマインドフルネスだと思う。
 
文章のクオリティはまだまだ上げられる。誰でも読みやすく興味を引き出す文章に少しずつ。挑戦していくと決めた。そうすれば自分自身も新たに成長できる。
 
皆さんもほんの文章でも書くことをお薦めする。

2018年12月29日