ヨガコラム|本音のお話  | ヨガビジネスのサイドストーリー
ヨガコラム|本音のお話 | ヨガビジネスのサイドストーリー
 
 
メレリエ スクール オブ ヨガ
CONTACT☎03-5547-3380

 
 
 

窮地の時こそ笑え

 
 
 
 

 
 
今まで悪魔と戦かっているような修羅場を数えきれないぐらい経験してきた。
だから、いつの間にかどんな状況でも笑えるようになった。
気が着けばヨガビジネスの平穏な毎日が続く今の場所が本当に私のいる場所なのかと言う疑問さえ感じる。平穏が目標とか思っていた筈なのに、平穏の中では上手く泳げない。生きる事は戦うことだと長い経営人生の中で自分に刷り込まれてしまったのだろう。
ただ、平穏と言っても何事も起こらない訳はない。小さな問題はいつだって起こる。このヨガビジネスの仕事は人間関係で成立している。だから相手の事情や状況により局面は変わり、マネージメントの戦略を大きく動かさなければならない時がある。でも、何故だろうピンチの時には不敵にも笑ってしまう。ピンチに対してどこかで挑戦できる自分に何かを期待しているのかも知れない。不思議なもので私もビジネスパーソンだと感じる瞬間である。
前にも述べたが仕事以外では無知の結晶のようなバランスの悪い生き方しか出来なかったから仕方がないが、前に壁ができると試行錯誤する事を楽しんでしまう。
昔若い時みたいにコケながら走り続けるような事はもう無いのが少し寂しいが、今はもうコケない。だって走ってないから転びようがない。だから確実に頭の回転が鈍くなっているのを自覚している。会話でも的を外すことが多くなった気がする。おじいちゃん!
でも、私にはそれだけの経験と言うデータがあるから鼻が利く。
まあ、今は「地に足をつけてじっくり攻める」に徹しているので、若く現役で戦っている優秀な人を見るとリスペクトするようになった。だから、応援したくなる。
先日スタジオ経営している後輩から、電話があった。口コミで悪口を投稿されたと言うものだった。その口コミの内容を見る限り自己本位の嫌がらせでしかないのだが、何を求めて投稿するのだろうと考えた。弁護士を通じて開示要求し、本人を特定しそれによって損ねた利益と信用の賠償請求も出来るが、そこまでは、しないであろうと考えているのか。しかし、もしその投稿によって退会者が大勢出たとき、何もしなければ、そういう当たり屋もどきが増えるだろう。だから口コミを書くなら本名で書きなさいと言いたい。そういう情報時代だから投稿してあえて戦う正義があると感じた人間なら本名を出せるはず。出さないのは卑怯である。投稿した人間は相手を知っている。でも投稿された側は相手が解らない。これが、矛盾で、妬みや嫉妬・腹いせ等が許されると言うのがコンプライアンスに反しないのか不思議でしょうがない。情報のガバナンスを強化すべきである。ただ、たいした事ではない。名前が挙がってくると自然にアンチも増える。発言に信憑性が無いのはその匿名たる無責任を見れば解るし、案外匿名と言うものは皆信用してないよ。と言っておいた。メレリエもされた事あるけどアンチが増えたのは知名度が上がったからだと言ってみんなで笑ったことがある。
それより必死で頑張る事のみ。そうしていれば結果がすべてを覆してくれる。もっと苦しく捌け口の無い修羅場は必ずやってくる。その時に備えるのが先。
 
私の悪運の強さは「座右の銘」が【九死に一生】と言う事からも周知の事実だが、もし若い人に一言と言われれば、勢いは大事コケる事、敗ける事を怖がらないで。窮地に立ったら微笑め、悪魔より先に笑え。そうすれば冷静に状況をより把握できる。そして、然るべき自分自身が成長するプロセスになる。要は積み重ねなのです。案外人生コメディだ。
アッ、来月のスケジュールどうしよう。窮地の時こそ笑えだ。
 
 

平成31年3月4日

 
 
 

世界の隅から考える

 
 
 
 

プライベートのつぶやきの世界の隅から考えるというのは何なのか。
前置きとして言えば私の意見や戯言等は第三者に与える影響等何もないと言う事。あくまで自分自身の中で逡巡している事を文字にしているだけと言う事である。
 
それでは、本文に入る事にする。
これを読んでいる人は世界地図を見た事があるだろう。本来地球は丸い形をしているので、平面にすると歪みが出て面積に相違が出て来るのは当然。そして私達が見る地図は日本が中心にあって大陸に囲まれている。しかし、ヨーロッパで見る世界地図はヨーロッパが中心で左側にアメリカ大陸がある。日本を探して見れば右端の上の方にチョビット発見できる程度。ここから極東の島国と言われているのだ。様々な視点で見れば図法は割愛するとしても平面で表現するなら国々によって自国の面積は異なる。これが大きな価値観の違いやナショナリズムを含む視点の違いの一つの象徴だと思う。(まあ、地球儀をみれば良いだけの話ではあるのだが)
 
つまり私が言いたい事は「自分自身の思考はどうして作られてきたのか」と言う事を掘り下げて鑑みる事。情報や教育自体も世界に照らし合わせて再考する事によってよりゼロの位置にやっと近づける程度だろう。だから全ての情報を逆説的に考える事によって成立する事も有ると言う事である。
例えば密教で言うマントラ(真言)を取り上げれば、大昔は呪文・祈祷であり雨が降らなかったら、唱えて雨を降らせたり、人を呪い殺す事も出来る超越性を持っていたらしいが、現在ではマインドフルネスの集中法として正規に生きている。この変化が進化であり文化の交流であり知性だと考えられる。ヨガ学派は音声により精神を統一する修行法として存在するものでスピリチュアルとは異なると私は考えるが、その目的(悟りとか解脱とか)によっては宗教なので信者になるか、信者にならないか、全く別で集中法として割り切るかが選択肢になるが、それも客観的にグローバルな視点で判断をしなければならない。
 
つまり世界中の国々どこでも言える事だが必ずしも情報は正確ではなく主観が必ず文章には含まれていると言う事。それによって生まれる感情や思考は偏る可能性がある事を踏まえて常に疑問と戦う必要性を持つ事である。
 
しかし、このコラムも一個人の考え方であって世界地図の右上の隅っこの、またその中の小さな場所から発信しているただの主観的情報と捉えて疑問を持って読んで頂ければ嬉しい限りである。
 

平成31年2月13日
 

 

 

姪の結婚式

 
 
 

姪の結婚式。テレビドラマでしか見た事の無いチャペルでの挙式。もともと親類縁者に関わる事自体あまりしない不届き者の私である。常識に欠ける人間であり、ただでさえシキタリニに弱い。が、無難にクリアできた。
 
また、姪の挙式は特別な思いが沢山あった。それ自体には触れはしないが、新郎の方が楽しく文武両道の人で安心した。(早く私とどちらが面白いかセンスの雌雄を決したいと思うところである。早く東京に来るのだ)
そして姪も根性があり、楽しい性格だからきっと幸せになる。
 
私は何もしてやってはいないので、これから混ざろうかと思っている。
 
幸せの結果はまだまだずっと先にある。順風満帆の人生等期待してはいけない。風が前から吹き荒れてもいかに楽しく乗り越えるか、そして振り返った時「楽しかったな」と言えれば
それが幸せである。
 
…と言う事を伝えたかったがあの二人なら大丈夫。
むしろ私の方が教わる事が多いかもと思った。
 

2019年1月5日

 

 

生まれて初めて1人の年末年始

 
 
 

 
年末から年明けまで何もやることが無い!今年はツレがいないので、本当の1人。まさかと思うが自分の人生の中で初めて1人で送る正月ではないか!「初体験だ」と実感する。
 
でもこうして1人を楽しむのも悪くない。買い物につきあわされることも無く、慌ただしさも全くない。怒られる事も無い。本当はこっちの方が「休み」って感じでいいのではとまで思ってしまう。まぁツレは母親の介護をしながらメレリエと田舎を行ったり来たりしている訳で、年末年始等感じられないかなと思うと申し訳ない気もするが・・・家族と迎える新年なのだからツレなら楽しく過ごすことだろう。ただ大晦日の夜【笑ってはいけない】を1人で見て笑っている自分を想像するとちょっと怖い…。アッ大事な大きなイベントがある。五日に姪っ子の結婚式だ。日帰りだけどめでたい事だ。でもこの話は結婚式が終わってからにします。 ハンカチだけは忘れないで行こう。
 
 
 
そんな訳で今は加湿器の蒸気に視線を漂わせながらこの文章を書いているのだけど、至福の時間を感じている。とにかく風邪とか病気にならない様に気をつけよう。せっかくの空っぽの時間が台無しになる。
 
初めて1人で迎える年末年始、のんびり味わおう・・・。

2018年12月30日

 

 

文章を書くマインドフルネス
~内容は反省文

 
 

 これは軽率にこらむを書きはじめた反省文と捉えてもらってもいい。
 
コラムを書きだしてからまさか自分がこんなに文章を書くのが下手くそだとは思いもしなかった。書いても書いても見る度におかしなところが出現しそれを直す。そしたらまたおかしなところが出てきてそれを直す。結果原形を留めない事態に…と言うお話から…。
 
よくよく考えて問題を精査して観た。
 
原因は私の脳ミソにあるのではと検証開始。
 
まず、傾向として私のコラムは根本的に長くなればなるほど本編のテーマとはかけ離れた所に流れ着いてしまっている。最初に何をテーマとして書こうとしていたのか忘れるぐらい。つまり思い浮かんだフレーズをツラツラとただ書いているに過ぎないのだ。文章と言うよりもメモだ。もちろん思考は巡らせている錯覚に陥っている。当然テーマに近づかなければと小手先で胡麻化そうとするのだけど、瞬く間に地図の無い旅は水の無い砂漠に放り込まれる結果になる。テーマどころのレベルの話ではなく文字の配列がそこにあるだけ。原稿を書く基本意識が薄弱で軽すぎた。
その時、ふと笈田ヨシ先生の顔が浮かんだ。現在パリに住んでおられる笈田ヨシ先生が来日された時に、うな丼が食べたいと言われたので一緒にお食事を二人でさせて頂いた事が二度ほどある。その時の笈田先生から頂いた言葉を思い出した。笈田先生は故三島由紀夫先生から文学座初期時代に演劇を学ばれた1人だ。その笈田ヨシ先生に対して三島由紀夫先生が「僕は原稿用紙一日二枚しか書かない」と仰られたそうです。それに対して笈田ヨシ先生は「私は二枚も書けません」と返答されたと言うお話を聞かせて頂いた。四百字詰めの原稿用紙だから一日800文字と言う事になる。だから重い原稿用紙が出来る。教訓になった。
 

2018年12月30日

思えば遡る事25年位前に私は小説に挑んだ事もあった。いい作品なら世に出ている筈なので大したモノでは無かったのだが、読んで貰って評価の対象外にならなかっただけましであった。ましてやその当時は仕事で裁判関連の準備書面を数多く作ってきた経緯もあるので、むしろ筆力には自信があった。ただ、今と違うのは筆力と言うよりも集中力だった気がする。
他の事に気を取られながら書く文にはなにも宿らない。
 
冷静に考えを巡らせてみる。私には30年という経営歴がある。これは私の年齢から観れば誇れる数字だと思っている。今もなお24時間ビジネスのプロセスを考え行動しているし、自分で言うのも何だが、そんなに悪い経営者ではない。確かに野心めいた物はいつしか消えてしまっていたが、頭は使っているつもりだ。
そうした消去法で考えて見るとマサカと思い当たる事がある。実に下らない問題で、もう20年近く自分で文章を創ると言う作業をしていない事だ。プロットのいる文章は要点と流れだけ指示して社員に任せていたし、メレリエが誕生してここ10年に限っては手紙すら書いていない。メールのやり取りでさえも面倒に感じ必要なこと以外は電話の方が手っ取り早いと思っている。日記を書く習慣もない。答えは簡単だった。
 
間違いなくナマケ者がなると言うナマケ病だと判明した。
 
準備が出来る力はすでに失われていた。だから行き当たりばったりの文章になるし、それならいくらでも書ける。まさに迂闊だった。平和ボケ。そしてそれに気づかない位に感性が錆びついていた。悔しいと感じた。
 
ただここで自分と向き合える年始の休暇が目の前に有る。これは幸運としか言いようの無いリカバリーのチャンス。時間はたっぷりとある。リニューアルにはおあつらえ向きだ。
 
とにかく文章だけに集中しよう。雑踏も無い時間の中でゆっくりと書くと言う事に専念しよう。とにかく、短い文章から脳のシナプスをリハビリするのだ。少しずつゆっくり、ゆっくり。何を焦っていたんだろう。まず難しいテクニックは使わなくてもいい。ただ自分を内観し集中力を結集すればゾーンに入る。
 
 
書き終えた後時計を見たら12時間が過ぎていた。時間の感覚が麻痺し書き綴ること以外は無心だった。この原稿に丸1日かかった事になる。
笈田ヨシ先生の言葉を思い出した。
 
この原稿の内容は失敗に対しての反省文のようなものでしかないが、私としては画期的自己発見である。
 
文章を書くと言う事は自分とそのテーマに集中しなければならない。そして自分でもう一度挑戦しようと言うキッカケを作って頂いたライターの先生には頭が上がらない。そして明確でハッキリとしたご意見が無ければ自分の退化に気づく事さえできなかったと思う。
文章を書くと言う事は時間さえ超越する程の内観である。瞑想と同様の効果があるかも知れない。なぜなら今頭の中は疲れてはいるが集中力を感じながらクールダウンするなかで鮮明な感覚を感じている。
これもまたマインドフルネスだと思う。
 
文章のクオリティはまだまだ上げられる。誰でも読みやすく興味を引き出す文章に少しずつ。挑戦していくと決めた。そうすれば自分自身も新たに成長できる。
 
皆さんもほんの文章でも書くことをお薦めする。

2018年12月29日